我が家の危機、自分の不甲斐なさ。

実家の方が大変な状況で、ひと月くらい更新をおやすみしていました。

 

先月から母のお腹の調子がよくなかったのですが、今月はじめ、あまりに痛みを訴えるため病院にいったところ、CT検査となり、腹部に空気の泡があることがわかりました。

 

今度は救急車で大学病院に行き、より精密な検査でも、胃か腸に穴があって空気が体内に漏れていることまでしか判らず、開腹手術が必要と言われました。

 

父と自分と弟の三人が説明を受けたのですが、父は認知症もあって主体的な判断ができず、自分と弟の判断で同意書にサインしました。

 

直後に手術が始まったのが、午後1~2時ごろだと思うのですが、待って待って、手術が終わったのは午後8時過ぎになってからでした。

 

手術しなければ60%の確立で助からない、手術すれば90%の確率で命は保証する、そう言われてサインした母の手術でしたが、その時点ではうまくいき、待合室でじりじりしていた僕らに、執刀してくださった主治医の先生が、成功しました、とおっしゃってくださいました。

 

別の部屋に通され、詳細を伺うと、母は穿孔性の腹膜炎ということで、胃に大きな穴が開いており、塞ぐことはできなかった為、胃全体を摘出して、食道と腸をつなげたのだそうです。

 

先生は説明の最中、トレーに入った母の胃を示され、ここに穴が開いていて、と指で示しておられたのですが、最早切除されてしまった部位とはいえ、何とはなしに母が侮辱されているような印象を受けました。

 

とりあえず成功、ということでホッとして、緊急入院した母を病院に残して、自分たち3人は帰ったのですが、これから大変になるということで、自分も実家に寝泊まりすることにしたその晩、父親の認知症が出ました。

 

母の手術自体は覚えているのですが、その決定に自分が立ち会えなかった、説明を聞かないまま母の手術が決まった、といった認識になってしまい、錯乱に近い状態になってしまいました。

 

その晩は自分と弟でなだめたのですが、その錯乱をきっかけに、どんどん現実と父の認識がずれていって、さっき話していたことも覚えていられない状態にまで悪化してしまいました。

 

また母の入院、父の認知症の悪化と同時に、もとから悪かった父の右足の痛みも悪化し、一時自力での歩行が困難となって、家の中でも車椅子を使うほどにまでなってしまいました。

 

その状態でも、父は母に対する想い、愛情とも依存ともとれるものですが、それは凄まじく、入院からほぼ毎日、見舞い面会をかかしていません。

 

翌日の面会では母は手術と入院のショックでせん妄状態になり、被害妄想が起きたり見当識を失うなどがあったのですが、数日でそれらはかなり収まり、もともとの冷静さがもどってきました。

 

集中治療室にいた最初、口からは固形物も水分も駄目だったのですが、湿らせたスポンジを口に含ませるところから始まって、一般病棟に移った今は1日2~3口、医療用ゼリーを食べられる日もあります。

 

食事の大部分は「腸ろう」から採っていますが、短くなった腸が消化不全を起こすのかお腹がはってしまい、腸ろうから点滴にもどったりと、お腹と栄養状態の方は一進一退です。

 

それ以外に寝たきりが続いているため、体の四肢の関節が固まってしまい、自力では起きたり動いたりできなくなっています。

 

パーキンソンの持病もあるので、お薬を調整してもらいながら、動きのいい日にリハビリをしてもらっていますが、芳しくありません。

 

母の治療は自分たち素人が関与できることはほとんどないので、できるだけお見舞いに行って元気づけることで精一杯ですが、そのお見舞い面会に行く父、父を当たり前のように連れていくことが、とてつもなく困難になってきています。

 

父はもともとおっとりした、長閑な性格の人でしたが、認知症がすすんだここ数年、非常に偏屈で、頑固で、怒りっぽい老人に変わってしまっています。

 

また右足の慢性的な痛みが、父の感情面に、常に悪い影響を与えているようです。

 

自分たちの言葉、説得で、接骨院なり整形外科なり行けばいいのですが、もともと医者嫌いなうえ、ここまで悪化してしまった足は父なりに大変な状態だと判っているようで、母のことで大変なときに自分が長期通院なり入院なりになったら、ますます事態が悪化すると思い込んでいるようです。

 

それは半分あたりなのですが、父が整形外科にかかって先生に診断書を書いていただかないと、父の足は悪化するばかりで、治療もリハビリも出来ず、さらに父の介護面倒を担当する自分と弟の負担が大きくなる、とは考えてくれません。

 

認知症の治療も自己判断でやめていて、緊急性の高いお薬ではないのですが処方薬も飲んでいない、飲んでくれない状態です。

 

父に、お父さんは物忘れをしてしまうから、というと非常に感情的になってしまいますが、実際、物忘れで通帳やカードをいくつもなくす、というほかにまた困ったことが出てきてしまいました。

 

介護の仕事の弟と、PCにむかって相場をしている自分の目の届かない間、徘徊がひどくなり、ここ2週間の間でも3~4回、所在がわからなくなって警察署に捜索願を出さざるを得なかったのです。

 

幸いにも全てのケースで最終的には父は見つかり、その都度、関係してくださった各位の皆さまに頭を下げているのですが、弟の仕事は今のところ減らしてはいないものの、勤めてはいない、ということで相場が仕事の自分が父の存在に目を光らせていなければならず、弟が休みの日でも、二人がかりで父に当たらなければならないため、まず自分の方の相場、株式投資がここのところほとんど出来ていない状況です。

 

弟は勤めという体面と義務があるため、出勤したその日は仕事に打ち込めてお給料分を稼いできますが、彼は家に生活費を入れているのであって、僕に入れているのではありません。

 

僕は実家の近くにもともと部屋を借りていて、実家とは生計が別でしたが、今回のことで実家で寝泊まりしています。一番手持ちがある、ということで母が入院しているあいだ必要となる、日用品、毎日の食費、見舞い通院のタクシー代、ほぼ全てを自分が負担しています。

 

母が入院となった早い時点で、父の頭がしっかりしていたなら決めておかなければならなかったことですが、実家での家庭生活も共同生活ですから、食費、生活費のそれぞれの応分の負担をこれから共同のかたちでどうにかしていかなければなりません。

 

自分が普段通り相場ができれば、捻出できない金額ではないのですが、今父を見守りながら母の見舞い面会に連れていき、家事雑事、家の外の折衝をこなすとなると、相場どころではないのです。

 

お金のことを預かっていた母が入院状態で、生活費を出していた父が錯乱しており、弟は自分ではなく父か母に生活費を入れたいらしいため、自分の今月収支はほとんどプラスがなく頭をかかえてしまう額の赤字になっています。

 

ときおり父や弟が冷静なときに、自分の状態を訴えるのですが、父自身、弟自身の問題としては捉えてくれません。

 

こんな状態のなかでプラスのことといえば、もともとお世話になっていたケアマネさんが非常に親身になって動いてくれていること、新しくアクセスした地域包括支援センターの方も親身になってくださり、そこに紹介された近所の特別養護老人ホームへ、父がさほど嫌がらずショートステイ一回目が終えられたことです。

 

最初、地域包括支援センターの担当の方が、初対面の父にショートステイを提案した時には、絶対うまくいかないと思っていたのですが、30分ほどの間に、あれほど頑固で固陋だった父に、翌日のショートステイを納得させてしまいました。

 

さすがプロだと感謝することしきりだったのですが、一回目のショートステイでも父は随分物分かりがよく振る舞ってくれて、自分たちとわかれたあとも、とても落ち着いた態度で過ごしていたそうです。

 

はじめということで、2泊のショートステイにとどめたのですが、明日(といいますか今日)、2回目のショートステイを試す予定です。これでうまくいけば、どんどん一回の日数と頻度を増やしていくつもりです。

 

ここまで書いてきて気づいたのですが、この文章でほとんど父と母の為人、どんな母でどんな父で、どれだけ世話になって感謝していて、ということに触れられていません。

 

このひと月、ひたすら入院中の母に情を見せてコミュニケーションするでもなく、わずかな時間に甘えるでもなく、自分が先頭になって目の前の課題を処理していかないと我が家は大変なことになってしまうと、事務的機械的に山積みの問題を処理してきました。

 

残った家族に対しても非常にきつい、いやな態度で接していたと思います。

ショートステイがうまくいくようになって、自分にわずかなりとも余裕ができたら、そういった面も改めていきたいと思います。

 

自分にとって世界で一番大切な人間は母で、そして父のことも弟のこともとても大事なので、みんなの家庭をかたちは変わってしまっても守りたい。明日も頑張ろう。

 

ありがとうございました。